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関連施設
千利休屋敷跡
千利休は大永2年(1522年)、堺今市町(現在の宿院西1丁)の豪商魚屋(ととや)の長男・与四郎として生まれました。17歳の時北向道陳に茶湯を学び、のちに武野紹鴎に師事しわび茶を大成させました。茶の湯をもって信長に接近し、その死後は秀吉の茶頭として仕えながら、北野の大茶会を取り仕切るなど天下一の茶匠として権勢を振るいましたが、小田原の役後秀吉の怒りにふれ自刃しました。現在の茶道千家の始祖であり「茶聖」と称せられています。
屋敷跡には椿の井戸が残っていますが、椿の炭を底に沈めていたといいます。井戸屋形は利休ゆかりの大徳寺山門の古い部材を用いて建てたものです。
与謝野晶子生家跡
堺に生まれ明治・大正・昭和を短歌とともに生きた「情熱の歌人」与謝野晶子。「みだれ髪」はその代表作、甲斐町の生家跡には「海こひし潮の遠鳴りかぞへつつ少女となりし父母の家」の歌碑があります。
住所 〒590-0950 大阪府堺市堺区甲斐町西1-1
アクセス 阪堺電気軌道「宿院」駅より徒歩すぐ
与謝野晶子文学碑
与謝野晶子記念館開館を記念して、「さかい利晶の杜」西側入り口に、晶子の文学碑が建ちました。
刻まれた文章は、昭和8年に与謝野夫妻が互いの文学的資質をほめたたえたものです。
2人が互いを尊敬し、信頼を寄せあっていた姿がしのばれます。
晶子桜
与謝野家は生前、桜をこよなく愛し、与謝野家の家紋にしました。
また、桜を詠んだ短歌を多数残し、最後の歌集を『白桜集』と名付けるなど、晶子と桜には密接な繋がりがあります。この桜の濃紅色なガクは、情熱的な晶子のイメージにぴったりです。
この桜はさかい利晶の杜周辺の「にぎわいの道」に植えられています。
堺市では3月下旬に開花予定です。