晶子さんの素顔
与謝野晶子は「情熱の歌人」「強い女性」「スーパーウーマン」などというイメージがあり、その強いイメージに惹かれ、感動、共感しますがそれはほんの一面に過ぎません。
晶子の素顔を知って、一人の女性、妻、母、そして人間として、出来るだけ「身近な存在」として親しみも持っていただきたいと思います。ここでは、親しみを込めて与謝野晶子を「晶子さん」と呼び、自身の随筆や子どもたちの回想文を参考にその素顔を紹介します。
「笑顔の晶子」(雑誌『ニコニコ』より)
与謝野晶子は「情熱の歌人」「強い女性」「スーパーウーマン」などというイメージがあり、その強いイメージに惹かれ、感動、共感しますがそれはほんの一面に過ぎません。
晶子の素顔を知って、一人の女性、妻、母、そして人間として、出来るだけ「身近な存在」として親しみも持っていただきたいと思います。ここでは、親しみを込めて与謝野晶子を「晶子さん」と呼び、自身の随筆や子どもたちの回想文を参考にその素顔を紹介します。
晶子さんは、書斎にこもって仕事をするだけでなく色々な日常の楽しみを持っていました。暇があれば「子供達の衣類の裁ち物」や夫と子どもとの団らん、先輩や友人たちとの話し合い、旅行や「下手な絵具いぢり」「台…
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晶子さんは色白なので、ほとんど化粧らしいことはしなかったそうです。自身「お化粧は皮膚を美しくするにあると思ひます。それには常に健康でなければならない」と述べています。着物は紫色を好み、着方についても…
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娘が語る晶子さんの様子を紹介します。
「母の真似をするならば、錦紗かお召しの着物を少し長目に着て、襟元は紫地に刺繍のある縮緬の半襟で、ひろくゆったりと開ける。首をちょっと右にかしげて、…
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晶子さんは最初の歌集『みだれ髪』の頃から話題の人となり、世間から注目を浴び続けました。芸術家の多くは没後に評価されることが多いですが、晶子さんは生前から有名人となり「時の人」として、新聞紙上での婦人…
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明治末期、夫を追って渡欧した晶子さんは、夫との再会を果たすと今度は子どもが心配になり先に帰国してしまいます。また、出産のための入院中に、孤独や不安・悲しさのあまり病院を抜け出し自宅に戻って家族と夕食…
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